はじめまして✨
おとはです🌱
本日はWebサイトにお越しいただき、どうもありがとうございます🌟
私は、副業月収20万超えを2年で達成できた会社員ママです。
実は、「元」ノウハウコレクター&自己肯定感ゼロのアラフィフママでした。
会社では、短時間勤務で肩身が狭い思いをし、人間関係にも悩み、
逃げ出すように副業の道を選択。
そこで、「ノウハウ」ばかり集めては、中々稼げない時期があり、
自己肯定感ゼロの状態が続きました。
でも、「オンライン秘書」のスキルを身につけ、かつ、ある重要な「コツ」をつかみ、
自己投資額を回収できるようになりました。
さらに、これからは、
「Webマーケティング」✕「オンライン秘書」のビジネスで、
副業月収50万超えを達成すること
です🌟
経験者たちの実績をもとに仮説を立て、Webマーケティングのプロと計画を練った上で、「自分次第で」実現が可能と判断したため、このような目標を設定しました。
先程も申しましたが、私は「元」ノウハウコレクター&自己肯定感ゼロのアラフィフママでした。
・なぜ子育てと、会社員もしながら「オンライン秘書」をしているのか?
・どこへ向かおうとしているのか?
そのきっかけと経緯について、私の自己紹介を含めてお話していきたいと思います。
基本情報
名前:乙羽 祐希(おとは ゆき)
生年月日:1972年3月10日(53歳)
職業:大企業会社員(短時間勤務)/オンライン秘書(副業・フリーランス)
家族:小学1年生の娘・夫
趣味:子育て👧、旅行🛫、カフェ巡り☕、アロマ🌱
【経歴】
●副業
・オンライン秘書
└営業事務
└資料作成
└ワードプレス入稿
└競合調査
└架電、メール送受信
└バックオフィス
└スケジュール管理・調整
└経理、請求書発行、領収書管理
・コーチング
└小中学生オンラインスクール メンター
●会社員
・広報業務
└メディア取材対応、プレスリリース
・営業、営業事務
└資料作成、顧客候補選定、アプローチ、販売、アフターケア
・PB商品開発、マーチャンダイザー
└3C分析、競合調査、お客さま座談会開催、計画策定、数値管理、売場づくり
・アパレル販売
戦略的に異動の多い会社での様々な経験+リカレント教育(学び直し)により、
現役「オンライン秘書」として活動中です。
🔽ぜひこちらを覗いてみてください✨
「オンライン秘書」としても繋がっていただけたら幸いです。
「副業」を始めた理由
私は、元々は、安定の大企業に入社し、チャレンジ精神は旺盛だけど、実際は石橋叩いて渡るタイプでした。
なので、普通に会社員として、定年までこのまま続くと思っていました。
中の上の暮らし。
たまに海外旅行や、年1回の国内旅行。
たまに美味しい食事。
休みのたびに、フラフラとショッピングセンターやカフェ巡り。
年に2回のディズニーランド&シー。
娘にも、中の上の教育。
保育園の時から習い事に通わせ、
色々経験させてたら、
IQ130超えに育っていました。
結構、教育費ってかかるなあ。
高齢出産だし、今から、大学資金、学資保険で溜めなきゃ~
と、娘のために頑張っていたものでした。
その生活は一見、何の問題も無い、平和な生活のように見えていました。
それが…
50歳の誕生日目前で、喉の甲状腺切除の手術を受けることになり、
そこから私の人生は大きく変わりました。
数パーセントだが、手術後動けなくなる可能性もあるとのこと。
『死ぬかもしれない』
そう思った時に、生きている事の有り難さを初めて実感しました。
手術後にまた、この世に戻るんだ、娘のところに戻るんだ!、と決意して
手術に向かったのを未だに覚えています。
そして、実はその前から「序章は始まっていた」のかもしれません。
潜在的に感じていた事が、顕在化されたのかもしれません。
会社のストレスで、精神的には、かなり参っていたのです。
それが、喉の腫瘍が肥大するということにつながったのかもしれません。
実は、私は、会社の人間関係に悩んでいました。
思い返すと、産休明け、短時間勤務で復職してからだったと思います。
思うように働けない日々。
子どもの発熱で、仕事の途中なのに、保育園に呼ばれて帰宅します。
周りにお任せして、帰る日々。
いつも中途半端で
何も成し遂げる事なく
いつしか「すみません」が口癖に。
そしてその時に出会った一冊の本
『7つの習慣』。
それまで他人の様子ばかり伺って、振り回されて、勝手に傷ついていました。
それが、この書籍によって、自分の意志で、自分の人生をまた歩もう!
そう心に決められたのです。
「自分らしく生きる」=「副業」
これが私の「新しい働き方」へ関心を持った、第一歩でした。
ここで、「なぜ副業か?」「なぜ会社を辞めないのか?」と
疑問に思われる方もいるかもしれません。
答えは、「在宅ワークで娘のそばで働きたかったから」「一番リスクが低いから」です。
「転職」では、会社という組織に属する限り、また、同じ辛い思いをするかもしれません。
一方、「副業」(在宅ワーク)は、自分の「好きな時」に「好きな時間」だけ
「好きな場所」で働くことができます。
その「副業」として収入を得るために、様々な「ノウハウ」を集め出したのです…。
「セミナー」をあちこち受けて、「ノウハウ」を得て、なぜか安心する…
ということを繰り返し始めました。
「昇格」の先に未来は無かった
産休前は、管理職一歩手前の「事業部長」も任されていました。
お腹に赤ちゃんが居ながらも、プロジェクトで毎週会社の社長へプレゼンをしていました。
いわゆる世間的には「バリキャリ」。
でも本人的には「ゆるキャリ」だったのだと思います。
なぜならば、キャリアとかそんなに意識はしていなかったからです。
人を押しのけて、すごく出世したいわけではなく
「きちんと仕事をしたい」
「仕事の達成感を味わいたい」
「人のお役に立ち、ありがとうと言われたい」
「(多少は)周りに認められたい」
ただただ、それを、コツコツと続けて来た結果、時に、引き上げてくださる上司がいて、
役職を任せていただいた、それだけのものでした。
でもそれも、育児が加わった時には、無理だ!と気づきました。
近隣に親が住んでいないと、到底、成り立たないのが実態です。
昇格試験を受けさせていただいた時期もあったけど、
心のどこかに、(娘と一緒に居たい、無理はできない、制限しなきゃ…)
という気持ちが湧き、ブレーキがかかり…。
筆記試験が通り、二次試験まで進んだけど、敗退…。
神様が「この道じゃないよ」と言っているかのようでした。
その後、このままこの部署に居て、昇格しない場合は、
「社会に通用しない」「何もできない」「資格もない」「ただの人」
に成りかねない…そんな恐怖から、異動希望を出し、
まったく違うグループ会社に異動となったのでした。
そこから、私の「環境」に翻弄される旅が始まりました。
異動先で出会った同僚。
「自分中心」
自分の栄光のために、部下や同僚を利用する人。
私は、皆それぞれ強みがあって、それを平等に表現できる場があり、認められるべきだ、と考えるタイプだったので、この人の考え方や行動が、全く理解できませんでした。
(今となっては、私も成長したので、ある意味理解できますが…)
その時は、その人に、ものすごくチームの中をかき回されて、
結果、私は耐えられなくて、出ていく(異動希望を出す)ということに…。
そして、次の職場で出会った上司。
ここでも一波乱ありました。
短時間勤務でこなせない仕事量。
やりがいはあったのに、中々日々仕事が終わらない。
ちょっとした不手際があると、都度そこについて大きな声で説教される…。
と言うより、その上司にとっての100%のやり方に1%でも満たない場合
すぐにその人を捕まえて、「こう言ったよね!」とつっかかる上司。
大体、言いやすい人が捕まっていたのだが、私もその一人でした。
今となっては、その時のことを、
・私が引き起こしたシチュエーション
・その状況が嫌なら自分が変わらないとダメ、他人はそう変えられないから
と言えるのですが、その時は、ただただ逃げたかったのだと思います。
どこに異動しても、いつも環境のせいにして、被害者意識になっていた私。
もう会社を辞めたい。
娘のそばで働きたい。
残業の日々や、嫌な上司や同僚から逃げたい。
自分らしく生きたい!
そこで出会ったのが『コーチング』でした。
自分の人生における目的・目標を見出し、
そこに向かうにはどうしたら良いか?
「意識」「考え方」「行動」が変われば
「人生」が変わる!そう気づくことができたのです。
そこから、私の「縛られない人生」、
長く勤めてきた「会社」以外の「働き方」がスタートしたのでした。
『コーチング』副業という深い沼へ
そんな中、会社員としてのお仕事が、だんだん楽しくなってきていました。
『コーチング』の効果もあります。
セルフコーチングもできるようになり、自分の「強み」も気づくことができるようになり、日々が充実してきました。
会社では、役員のメディア向けの広報担当。
役員の考え一つひとつに共感し、
「発信すること」「伝えること」の楽しさを知り、
とてもやりがいを感じていました。
お忙しいその方のサポートを
先回りして対応することは
昔から得意なことだし、好きなことでした。
「長女気質」、「人のために何かをする」ということが好き、「面倒見が良い」
「器用貧乏」、「飲み込みが早い」
自分で感じていたことと、よくよく他人からも言われていたことです。
また、本来、「喋るのが苦手」で
人前で話すのは恥ずかしかったのが、
これらの特徴が、良く働いたり、悪く働いたり…。
強みと弱みは、「表裏一体」でした。
人前で話すのは苦手でした。
→想いを口で伝えられない
→聞き専になることが多く「傾聴力」が身につく
と、弱みが強みに変わっていきました。
これは、『コーチング』で新たな視点が加わり、「意識」が変わり、
「考え方」や「行動」が変わったからです。
娘への接し方も変わり、
保育園に「登園拒否」をしがちだった娘が
進んで通うようになったのも、
『コーチング』を使った日常会話のお陰だと思います。
そして、『コーチング』を職業として意識し始めました。
受講者として自分自身も変化を体験できたので、
他人に提供する番だ!と、意気揚々として、スタート。
一寸先の闇に気づくこともできず、
闇の中の深い沼に入り込んでしまったのです…。
『コーチング』収入ゼロの実態
深い闇。
それは、自称『コーチ』が大量発生し、お仕事は中々回って来ないという状況のこと。
そして、深い沼とは、それを『自分集客』でカバーするということ。
そのために皆、様々な『自己投資(学びのためのカードローン)』をしてしまい、
結果、稼げずにまた新たな学びに投資してしまう、という悪循環のことを差しています。
私は本当に遠回りをしてしまいました。
「いつかコーチング(だけ)で大きな収入を得て、学びの自己投資分を回収するんだ!」
そう意気込んでいたものの、中々稼げませんでした。
会社のボーナスが毎回返済に飛び…。
ギリギリの状態で回す状態が1年ほど続きました。
最初の1年は、
・コーチング
・自分のコンセプトづくり
・潜在意識コーチング
・スピリチュアル協会
様々な講座を受講しましたが、収入は「ゼロ」が続きました。
「友人・知人に声をかけて、無料体験から成約につなげるんだ!」
大体において、そのように教わり、友人に声をかけても、LINEの既読スルーの嵐…
久々に会えて、お話しできても、「スッキリした~、ありがとう!」で終了。
そうです。マーケティングの仕方が間違っていたのです。
今となってはそこに気づき、まさにその『Webマーケター』として、活躍をすべく、
新たなスキル、そして確実に収入につながる必須のスキルの学びを深めているところです。当時はそんなことも良く分からないまま、言われるがままで、
結果、収入「ゼロ」が続きました。
私のように、会社で上手く成果を出せずモヤモヤしている世の中のママを
自分らしく生きるサポートをするんだ!
と意気込んでいましたが、収入「ゼロ」では、事業になりません…。
『ノウハウコレクター』→『カードローン』地獄へ
その後も、諦めきれず、収入「ゼロ→1」にするための「ノウハウ集め」は続きました。
・西洋占星術
・自分のサービスのコンセプトづくり
・3日間動画配信で集客
・集客の弟子入り
(●万人のメルマガ登録者に自分のサービスをご紹介できる特典付き)
・まるっと集客
・Webデザイン
・電子書籍・ライター
最近、コロナあたりから増えている、いわゆる『ノウハウコレクター』になりつつありました…。
『ノウハウコレクター』
└ノウハウを学んで満足してしまう人。
└本来収入を得ることを目的としていたのに、そこまで行かず諦めてしまう人。
ノウハウを身につけると、自分が成長した気になり、いつでも収入を得られる気分になってしまいます。
でもそれは、大抵が、「幻(まぼろし)」でした。
「幻(まぼろし)」の理由は2つありました。
①再現性が低いスキルのため、実現できない
②再現性があるスキルでも、実行できない
この、「実行できない」は大きなキーワードだったと、今になって分かりました。
また、「ノウハウ」にも2種類ありました。
「ノウハウ」
└マインド面
└スキル面
どちらかだけでもダメでした。
それはどの講座でも共通で言われました。
そして、実はとっても重要なのが、「マインド面」です。
今になって、ようやくその意味を理解することができたのでした。
それに気づいた頃には、各セミナー受講料に、累計●●●●万円の大金をつぎ込んでいたのでした…。
『稼げるノウハウ』との出会い
実は、「ノウハウ」(スキル面)の中でも、学んで翌月から収入につながったものがありました。
それが『オンライン秘書』🌟
最初の案件獲得の仕方は、この後の記事でお伝えしますね。
これは「イケる💡」と思ったお仕事でした。
「イケる」とは、「稼げる」「私に向いている(好き・強み)」です。
ただ、なぜか私は、「幻」の『コーチング』にこだわり続けて、
『オンライン秘書』と『コーチング』で収入の柱を2本作る🌟
と豪語してたものでした…。
今思うと、根拠も無く、各セミナーで洗脳されていただけでした。
『コーチング』だけでは、稼げないということに気づかずに…。
細々と続けていた『オンライン秘書』ですが、
先に述べた、私の強みにマッチしていました。
「長女気質」、「人のために何かをする」ということが好き、「面倒見が良い」
「器用貧乏」、「飲み込みが早い」
誰にでもありそうなこの特性ですが、それが「お仕事」として「収入につながり」「継続して」ご依頼をいただけるようになる『秘訣』があったのです。
それは『リモラボ』との出会いです。
SNS運用で有名な【こもりん】が代表の会社です。
後の記事に書きますので、ご覧ください。
ここで、私は、講座に入会後、3カ月で8案件の採用にいたるという、驚異的な数字を出しました。
それは何が今までと違ったのでしょう?
「スキル」ではなかったのです。「スキル」はもう持っていたのです。
今までと違うのは、「マインド」でした。
そして「環境」です。
この点も非常に重要なので、別の記事でお伝えいたします。
こうして、副収入として、月収2万円からスタートした『オンライン秘書』は、
今、月収20万円を超えるようになりました。
しかし、『オンライン秘書』も月収20万を超えると、同時進行の案件数が10件超えとなり、睡眠時間を削って対応するなど、疲弊した生活となるのでした…。
そして、おぼろげながら、こんなことに気づいたのでした。
・自分で「集客」もできたら、単価もアップできるのに…
・「オンライン秘書」クライアントも「集客」に悩んでいる方が結構いるなぁ…
最後に
今、私は、『オンライン秘書』として、月収20万超え、もうすぐ30万になろうとしています。
そして、先に述べましたが、疲弊する毎日から脱出しようとしています。
後ほど記事にも書きますが、まず、以下の3点を心がけました。
①自分はどうありたいか?ビジョンを描く
②案件の整理・断捨離をする
③目の前のお仕事に全力投球する
そして、もう一つ、今度は「スキル」を足すことにしました。
自分も、「オンライン秘書」のクライアントも、「集客」に悩んでいました。
その答えが、「Webマーケティング」です。
ここから1年間、トータル副業月収50万超えを目指すチャレンジが始まります。
そして、同時に、以下の記事も、書いていく予定です。
STEP1:ゼロ→1副業収入を得るための『オンライン秘書』術
STEP2:月収20万を目指すための『オンライン秘書』ロードマップ
STEP3:月収50万以上チャレンジの『Webマーケティング』行動計画
なぜこんなに、頑張り続けるのか?
私には、『小4の壁』があるからです。お子さまがいらっしゃる方は皆さん一緒ですよね。それを、当たり前に受け入れたくないんです!
私を含め、ママ達が、限られた条件で働き続け、日々辛い思いをするのではなく、
時間と場所とお金の自由を手に入れて
子どもと一緒に、何気ない日常を楽しめる世界をつくるため
です。
そして、もう、私のように、まわり道をして、中身の無いセミナーに、無駄なお金と時間を使う犠牲者を増やしたくないんです!
私がそうでしたが、「結局、自分に合う仕事とやり方は何なんだ!?」となっている方に、私の経験から見えたことをお伝えし、迷いを払拭できればと思います。
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ぜひ、お気軽にご相談くださいね🌟
では、これからの記事もお楽しみに🌟
そして、よろしければ定期的に私の副業月収チャレンジ記録についても見に来てください。
最後までお読みいただきありがとうございました💖